カイロの旅 その5 パーレビ元国王のお墓

カイロ市内のモスクに イランのパーレビ元国王が 眠っています



現在 今日のニュースで イランで イラン宗教警察の厳しい取り締まりに対しての 抗議デモが広がっています 女性は外で髪の毛を 出してはいけないというイスラム教の規律を乱すと拘束されてしまう。死亡ケースも出てます。若干、現政権の足元が ゆらぎ始めているようにも、見えます。


1941年に 上の写真のパーレビ元国王は、イランの皇帝として、即位して、白色革命(
スカーフの廃止を含む)を推進して、イランの近代化を進めたが、ホメイニ師らの イラン革命により、失脚し、最初 一番目の妻 (エジプトの国王の長女)の出身地 エジプトに亡命し、その後  アメリカに亡命するも、 アメリカ大使館人質事件勃発したため、親密にしていた サダト大統領(エジプト)の手引で 再度 エジプトに落ち着き、1980年に 60才で なくなり、上の写真の アッ=リファーイ モスクに埋葬されました。
そして、僕がお墓の写真を撮影、 ブログに載ったという、次第でございます。


僕がまだ 若かりし30才のとき、ロサンゼルスの専門学校の英語科の先生の一人が アミールといって、元イラン国立大学の英文学の教授だったそうで、イラン革命で亡命してきたんですね。今になって思うと、ですが。英語科主任のリンダ(元ノースウェスト航空乗務員) が、アミールのクイーンズイングリッシュをよくモノマネしてました。
ま それは、さておき、カイロのモスクをたくさん 回りましたが、ほとんどのモスクは、
旅行者の女性は、スカーフなしで 入れました。


が、アズハル モスクだけは、入口で、女性の方は、頭巾、長丈のドレスを貸し出してくれて、それを着用して、モスクの中を歩きました。

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